注釈2: 墨子

墨子のピンホール原文

本文に記したように、墨子(著書)は53篇現存していて、そのうち、経上下、経説上下の4篇が、論理学や力学・光学等の記述に当てられています。墨子の原本は電子版の形では、中國哲學書電子化計劃で見ることができます。この中では、経と経説の内容は項目ごとに番号をつけて(もともとの原本では番号などを付けて項目分けしてあるわけではありませんが)対応させてあって、経説は経の注釈あるいは解説の役割を持っています。また、上篇は基本的に用語の定義を記してあります。長い年月に亘って伝えられる過程で誤字脱字が生じてその他の混乱も含まれて難解な文章になってきたようです。上の電子版原本には、句読点と各項目間の区切りをつけて見やすくなっていますが、本来の原本には、このような句読点も区切りもないので極めて難解です。しかし、多くの先駆者のおかげで墨子の内容については一定の理解に達しています。

ピンホール現象に直接関係ある記事は4つあって、巻10(経上、経下、経説上、経説下)の中の第49項目と第120項目の文章がそれに当たります。 ここでは、いろいろ伝わってきている原資料のひとつから、巻10の第49、120項目の文章について、縦書きの文書そのままと横書きにして句読点をつけたものを下に示します。

 

巻10(経上、経下、経説上、経説下)の縦書き表示

 

巻10(経上、経下、経説上、経説下)の内容に句読点をつけた横書き表示

墨子のピンホール解読

漢文で書かれた「オリジナルの」資料も、英文や和文に翻訳された資料も(原本の違いによって)それぞれに異なった部分があって、また、翻訳された内容もかなり難解です。そこで、これらの翻訳された資料と漢文の原資料を見比べながら難解な部分を見直してなるべく平易に表したものが下の文章です。

ピンホール現象について述べている第49項目と第120項目は次のように解釈されています。
*経上の49番目の文及び対応する経説上49番目の文
経上49 =
(光の)集積する点(庫は、壁または閉ざされた場所)で、変化(「像の倒立」の意味)が起こる。
経説上49=庫:(光の)集積点は不変の形を持つもの(「太陽」や「月」の意味)と同じような(丸い)空虚な穴である。
*経下の120番目の文及び対応する経説下120番目の文
経下120 =
像が倒立する理由は、光が交叉する点に小さな穴があることとその穴が長い像を壁に投影することのためである。理由は穴があることである。
経説下120=像。光が人を照らす時、光は矢が人を射るようにまっすぐ進む。低い位置の光が人を照らす時には光は上の方に行き、高い位置の光は下の方に行く。足は低い位置の光を遮るので高いところに投影される。頭は高い位置の光を遮るので低いところに投影される。物体が小さな穴から遠くに行ったり近くに来たりすると、物体(の大きさ)は小さな穴の内側(投影面側)で変化する。

原本や翻訳された資料における相互の違いはありますが、「光がピンホールの位置で交叉して倒立像を投影する」と言うことが墨子に書かれていることは明らかです。墨子(書籍)には、原本によって書いてあることが違うことがありますが、例えば、使っている漢字が違うことがあります。一例として、今対象としている部分には「庫」という文字がありますが、場合によっては、「庫(こ)」ではなく「㢓(しょう、障)」と書いてあることがあります。「庫」ならば「閉ざされた場所(部屋、ピンホール・ボックス)」ですが「㢓」ならば「壁(投影面)」と考えられます。書き写される過程で変化したものと思われますが、この場合、いずれでも問題ありません。

総合的に考えると、ピンホール現象に関して墨子は次のようなことを理解していたと考えられます。
* ピンホール現象の存在
* ピンホール現象は光の直進性に基づくこと
* 倒立した像が得られることとその理由

このように、ピンホール現象とこれに関わる光学的な知識は墨子によってほとんど知られていたことがわかります。一方、アリストテレスはピンホール現象とこれに伴う現象の観測結果については知識を持っていましたがその理由については解決できませんでした。墨子(450 ? – 390 ?)はアリストテレス(B.C. 384 – 322)より前に活躍した人ですから、アリストテレスの時代に墨子の知識はすでに世に出ていたのですが、東洋と西洋の間でこれらの知識全く独立して存在していたものと思われます。

墨子(著書)について

これまでの記述から、墨子がピンホール現象について正しく理解していたことがわかります。また、墨子には、ピンホール現象のみならず広い範囲の光学現象や力学など古典物理学の内容についても現在正しいとされる記述がなされています。これらの記述が紀元前4世紀という早い時期のの書物にあるということは驚き以外の何物でもありません。ただし、これらについてこれ以上記述することはここでの目的ではありませんが、墨子の中でも「経上下」および「経説上下」の記述が特に難解であることについて簡単に記します。

本ページの記述は、参考資料のところに記した、Joseph Needham and Wang Ling、山田琢、本田済、大塚伴鹿の著書を参考にしています。これらの書籍はいずれも、墨子にはいろいろな原本がある上、「経上・下」および「経説上・下」の記述が特に難解であることを強調してありますが、特に、大塚伴鹿の「墨子の研究」(森北書店、1943.8.15発行)、山田琢の「墨子」(明治書院、2007.5.25)にはこの事情が総合的にわかりやすく書いてあるので下に引用しておきます。

墨經の内容は昔から難解を持って聞こえて居り、現に畢沅の經訓堂本の和刻ではこれらの篇ばかりは訓點を施してゐないのである。これは一つには錯簡衍脱が多いといふ理由からでもあるが、一面では墨經の思想が支邦古代の諸種の思想と趣を異にしてゐると言う理由からでもある。しかし、西洋の自然科學等が東洋で理解されるやうになってきた近代に於いては、幾多の研究者が輩出して墨經の思想も著しく明らかになった。・・・・・(大塚伴鹿)

・・・・・経上・下、経説上・下の四篇は「墨子」の論理学、力学、光学などの記述をおさめたものであり、普通「墨経」の名称で呼ばれている。その主なる文は経上・下篇であり経説上・下篇はそれぞれの注釈・解釈と考えられている。経の文章はもともと二段に分かれ、上段を読み終えたのちに下段を読み進めることになっていたのを、後代の編者がそれを知らず、上段一行目から下段一行目へとつづけたため、全体が混乱し、加えて文字の脱呉も多く難解な諸篇である。・・・・・(田中琢)