注釈_8:位相型ゾーンプレート


このホームページで扱っているのは「振幅型ゾーンプレート」ですが、ここで「位相型ゾーンプレート」について簡単に説明しておきます。実は、位相型ゾーンプレートの研究開発が進むことによってゾーンプレートは将来性のある高性能の光学素子として発展しつつあります。しかし、このような位相型ゾーンプレートの作成には微細加工技術が必要なので、現在のところ、一般の写真家が簡単に自作できる物ではありません。また、光学素子として高性能化した結果レンズの性能にも近づいてきたので、これまで述べてきたように、「レンズで撮った写真と一味違うゾーンプレートらしい写真」が撮影できるわけでもありません。そこで、位相型ゾーンプレートを使う実際の撮影についての具体的なことではなく、位相型ゾーンプレートとはどのような光学素子であるかについて簡単な説明をすることにします。

ゾーンプレートでは、回折現象を使って、被写体状の一点から出た光が撮像面上の1点で位相が同じになるようにそのパターンを決めています。この結果、光の屈折現象による収束作用を持つレンズと同様の働きをすることができるのです。具体的には、フレネル・ゾーンプレートでは、不透明のゾーンを使って、位相が反転する(位相がπ程度違う)光は遮断することで、収束点に集まる光が強くなるようにしてあります。位相がπ違う光はお互いに打ち消し合うからです。既に述べたように「位相」とは周期的に変化する現象が1周期の中のどの位置にあるかを表す量です

上の説明から分かるように、ゾーンプレートを通過して焦点まで達すると位相がπだけ遅れてしまう筈の光は、フレネル・ゾーンプレートでは不透明ゾーンによって遮断するようにしてあります。しかし、遮断しないで通過させてゾーンプレートのところではさらにπだけ位相を遅らせてから焦点に向かうようにすることができれば、焦点に達した時に透明ゾーンを通ってきた光と同じ位相(実際は、合計で2πだけ遅れていますが、2πの整数倍だけ違っても位相は同じですから、遅れてないのと同じです)になって焦点における光の強さを強くする事に貢献します。このようにすれば、ゾーンプレート全体に入ってきた光が全て有効利用されるわけです。不透明ゾーンと透明ゾーンの数は同じか1ゾーン違うだけですから、その総面積はだいたい同じです。従って、このような位相の操作を行えば焦点に集まる光の振幅はほぼ2倍となり、光の強度はその2乗である4倍にもなります。不透明ゾーンが無くなって全てのゾーンからの光がプラスに寄与するからです。このようなゾーンプレートを「位相型ゾーンプレート」と呼びます。これと区別する必要がある時には、今まで述べてきたゾーンプレートは「振幅型ゾーンプレート」と呼びます。不要な光は、不透明ゾーンを設けることで、振幅をゼロにしてしまうからです。Lord Rayleighが考案して、R.W. Woodが初めて写真撮影を行った位相型ゾーンプレートはこの型のもので、その構造から「位相反転型ゾーンプレート」と呼ばれることもあります。また、同一ゾーン内の違いは無視して位相の遅延が0の部分と位相の遅延がπの部分の2レベルだけから構成されているので、「2レベル(2L)位相型ゾーンプレート」と呼ばれることもあります。

このように、上に説明した位相型ゾーンプレート(位相反転型ゾーンプレート)では位相の調整をゾーン単位で行っています。すなわち、一つのゾーンの中では位相遅れは同一であるとしているのですが、(同じ一つのゾーンであっても中心に近い内側と中心から遠い外側では焦点までの距離が違いますから)厳密なことを言えば、同じゾーンの中でも場所によって調整すべき位相の大きさも当然違ってきます。もし、全ての点で位相の遅れを完璧に修正できるようにすれば、焦点での明るさは最大になる筈です。ゾーンプレート上で半径 r の位置から出て焦点に達した光は光軸上を進んできた光に比べて、\(\phi=\pi (r/r_1)^2\) だけ位相が遅れています。したがって、位相を \(\phi=\pi[2M-(r/r_1)^2]\) だけゾーンプレートのところで遅らせれば、合計した位相の遅れは至る所で一定値(\(2M\pi\) )になります。ここで、\(r_1\) は中心ゾーンの半径です。\(\phi\) は位相ですから、このままの数値(0から \(2M\pi\) までの値)を用いてもいいですが、0から2πまでの範囲に置き直して使うのが普通です。その理由は、位相を遅らせるために用いる物質は位相を遅らせるだけでなく光の減衰も起こすので、位相遅れを生じさせる部分はできるだけ薄い方がよいからです。この形の位相型ゾーンプレートは、ホログラフィに関連して精力的な研究が行われ、L.B. Lesem, P.M. Hirsch, J.A. Jordan の研究以降、キノフォーム(Kinoform)と呼ばれています。ただし、この研究にはA.I. Tudorovskiiによる「位相板(Phase Plate)」及び宮本健郎による「位相フレネル・レンズ(Phase Fresnel Lens)」と呼ばれる先行研究があって、このような名称で呼ばれることもあります。

図1は、ゾーンプレートにおける位相の遅れと上に述べたような位相型ゾーンプレートの断面の例を示した図です。この図には、ゾーン数がの正のフレネル・ゾーンプレートに対する位相の遅れと対応する位相型ゾーンプレートの断面図が示されています。これらのグラフの横軸はゾーンプレートの径方向の位置を表していて直径の両端の値を-11にしてあります。したがって、例えば、対象とする光の波長が 550 nm で焦点距離が 50 mm の場合、この範囲は(-1から1ではなく) -0.497 mm から 0.497 mm になります。また、縦軸はπラジアン(180度)を単位にした位相遅れを表しています。左上の(a)図は、ゾーンプレート直径上の各位置から出て焦点に達した光の位相の遅れを、中心(x=0)からの光を基準にして示しているので、ゾーンプレートの一番外側(x=-1あるいはx=1)から出た光の位相は9π(4周期半)だけ遅れる事が分かります。このような位相遅れをなくして、ゾーンプレート上のどこから来た光も焦点上で同位相になるようにする為にはゾーンプレート上で図1左下の(b)図のような分布の位相遅れをゾーンプレートの位置で光に与えれば良いことが分かります。このような分布の位相遅れを与えることは、適当な位相遅れを生じる材料でこの分布の形をした「位相レンズ」を作ればよいのです。注意しなければならないのは、この「位相レンズ」の厚い部分を通る光は、この材料の中を長い距離にわたって通るので、大きく減衰することです。しかし、上で説明したように、位相の遅れは0からの範囲内(波の1周期内)に置き直せば良いという事を使えば、この減衰量を大幅に減らす事ができます。このようにして作った位相遅れのパターンが中央上の(c)図です。適切な位相遅れ量を持つ材料を使ってこのような断面の「位相レンズ」を作れば、焦点に集まる光の位相を全く同じにする事が可能です。上で説明したように、このような「位相レンズ」をキノフォーム(kinoform)と呼びます。キノフォームは、身近に目にするフレネル・レンズと良く似た形をしていますが、フレネル・レンズは屈折現象を使ったレンズですから回折を使うキノフォームとは実際の形も異なっています。このキノフォームは優れた光学素子ですが、製作は必ずしも容易ではありません。そこで、連続的に変るキノフォームの厚さをいくつかの段階にわけて近似した素子(マルチレベル位相型ゾーンプレート)が実用的にはよく使われます。最も簡単なのが、中央下の(d)図で表されるもので2レベル(2L)位相型ゾーンプレートと呼ばれます。これは、普通のフレネル・ゾーンプレートの不透明ゾーンの位相遅れをπだけずらせた物と同じです。さらに近似の精度を上げて左上下の(e,f)図のような4レベル(4L)、8レベル(8L)位相ゾーンプレートのようなマルチレベル位相型ゾーンプレートも可能です。なお、このようなゾーンプレートを正面から見た図を図2に示してあります。

図1 位相型ゾーンプレートにおいて補正のために与える遅延位相
 横軸はゾーンプレートの半径方向を表しており半径を1になるようにしてあります。縦軸は位相の遅れを表しておりπを単位にして表示してあります。実際のゾーンプレートのの断面の厚さは使う材料がどれほど位相を遅らせるかによって決まります。(a) フレネル・ゾーンプレートにおいて不透明ゾーンも光が通過するとした時の焦点における遅延位相の分布図。(b) 上記の位相遅れがあったときにこれを補正するために加えるべき遅延位相分布。(c) キノフォーム・ゾーンプレートの補正遅延位相。(d),(e),(f) 2L、4L、8L 位相型ゾーンプレートにおける補正遅延位相。

図2 ゾーンプレートの透過率と位相遅延の変化
 振幅型ゾーンプレートの透過率の変化(黒ー白)と位相型ゾーンプレートの位相遅延量の変化(青ー白)を、焦点距離50 mm、ゾーン数9のゾーンプレートについて図示してあります。位相型ゾーンプレートの透過率は、理想的には全面に渡って100 %です。

ところで、位相型ゾーンプレートの大きな特徴は、上に述べたように、振幅型ゾーンプレートに比べてとても明るいという事ですが、実はもう一つ重要な特徴があります。それは、次回折光が無いという事です。これまでに述べたように、次回折光は背景光の主要な原因ですから、位相型ゾーンプレートは一層レンズに近い性質を持つことになります。ガラスレンズと組み合わせて高性能の色消しレンズを作ったり、非常に小さな対象を見る為の軟X線顕微鏡を作って実用化する上ではこの性質がとても重要です。もっとも、見方を変えれば、背景光が無くなる事でゾーンプレート写真らしさが無くなってしまい、「写真芸術」の観点からは、少し残念だという事も言えるかもしれません。

位相型ゾーンプレートは、100年以上前に、Lord Rayleigh によってその可能性が示されてすぐに、W.R. Woodが手作りして写真撮影を行っています。しかし、そうはいっても、現在では専門家が蒸着装置等を使って作っており、一般の写真家が手作りするのはなかなか困難なので、ここでは、コンピューターによる計算でその性質を調べてみました。対象とするゾーンプレートは、振幅型のフレネル・ゾーンプレート、及び、マルチレベル(2L, 4L, 8L)位相型ゾーンプレートとキノフォーム・ゾーンプレートです。いずれも、波長550 nmの光に対して焦点距離が50 mmでゾーン数が9です。

図3は、焦点面上、光軸に垂直な方向の光の分布を表しています。緑、赤、青、マジェンタ、黒の曲線は、それぞれ、振幅型フレネル・ゾーンプレート、2レベル位相型ゾーンプレート(2L)、4レベル位相型ゾーンプレート(4L)、8レベル位相型ゾーンプレート(8L)、キノフォーム についての計算結果を表しています。全てについて、第一暗帯の半径は一致しており、点光源の像の分解能には差が無いと思われます。光の強さについては、2レベル位相型が振幅型フレネル・ゾーンプレートのほぼ、3.25倍になっています。対象としたゾーンプレートのゾーン数は9ですから、透明部分の面積比で倍率を計算すると、となり理論から予想される通りの数値と言えます。キノフォームでは光の強さはさらに上がり、2レベル位相型ゾーンプレートの2.46倍、振幅型フレネル・ゾーンプレートの8倍に達していることがわかります。

図3 焦点面上での光の分布
 焦点距離50 mm、ゾーン数9の振幅型ゾーンプレート(フレネル・ゾーンプレート)及び位相型ゾーンプレート(2L、4L、8L、キノフォーム)について焦点面上での光の分布を示す。緑:フレネル・ゾーンプレート、赤:2レベル位相型ゾーンプレート(2L)、青:4レベル位相型ゾーンプレート(4L)、マジェンタ:8レベル位相型ゾーンプレート(8L)、黒:キノフォーム

図4は、光軸に沿った光の分布を表しています。曲線の色は図3と同じです。特徴的なのは、キノフォームの場合、振幅型ガボール・ゾーンプレートの場合と同様に副焦点が現れない事です。これは、ガボール・ゾーンプレートでは透過率が、連続位相型ゾーンプレートでは位相変化が一つのフーリエ成分だけで表されることによると考えられます。

図4 光軸上での光の分布
 曲線の色とゾーンプレートの種類の対応関係は図3と同じです。