塞翁馬

「人間万事塞翁馬」というのは中国のことわざで、「良いことも悪いことも予想できるものではないから、良いことがおこっても有頂天にならず、悪い事が起こっても悲観しすぎないように」戒める内容です。日本でも広く知られていますが、簡単にまとめると次のような話です。 昔、国境の要塞の近くに住んでいた占いの上手なおじいさん(塞翁)の飼っていた馬が国境を超えて逃げてしまいました。人々はおじいさんの不幸を慰めにきましたが、おじいさんは「これが幸いになるかもしれない」といって悲しみませんでした。やがて逃げた馬は駿馬を連れてかえってきたので、人々はお祝いに行きました。しかし、おじいさんは「これが不幸の基になるかもしれない」と言って喜びませんでした。やがて、その駿馬に乗っていたおじいさんの息子が落馬してけがをしてしまいました。人々はまたおじいさんを訪れて慰めの言葉をかけましたが、おじいさんは「これが幸せをもたらすかもしれない」と言って今度も悲しみませんでした。やがて戦争が始まって若者達は徴兵されましたがけがをしている息子は戦争に行かなくてすんだという事です。

人間万事塞翁馬

人間(世間、世の中)万事、塞翁が馬

t19990301b
第4回翔作品展出品(1999.03.01)
塞翁馬    

 

 

ところで、このことわざの原典を調べると、「淮南子(えなんじ)・人間訓」であることがわかります。「 淮南子」というのは前漢の武帝の時代に 淮南(わいなん)王の劉安が学者を集めて編纂させて作られた思想書です。ここには、上に記した物語は記されていますが、「塞翁馬」という語は出てきません。私が篆刻の文案を選ぶ時に愛用している 諸橋轍次の中国古典名言事典を見ると《人間万事塞翁が馬》という書き下し文の次に説明と原文が記されています。この中国古典名言事典では、表題に当たる書き下し文そのものが原文に含まれていない時にこのように《》でくくってあるのです。そういうわけで、「塞翁馬」と言えば「 淮南子」ですが、 淮南子には 塞翁馬という語はないのです。それでは、「人間万事塞翁馬」という言葉はどこにあるかというと、これは、元時代の僧煕晦機の漢詩「人間萬事塞翁馬 推枕軒中聽雨眠」から採ったものなのです。「人間万事塞翁馬」よりも、もう少し直接的にこの内容を言い表したことわざに「禍福は糾(あざな)える縄のごとし」というのがあります。こちらは、塞翁馬のような物語を伴ったことわざとは違って、「史記・南越列伝」の中にある「因禍爲福 成敗之轉 譬若糾墨(禍に因りて福となす 成敗の転ずること 例えば糾える纆(すみなわ)のごとし)」から採った文章で、「禍も幸せも撚り合わせた縄のように隣り合わせだ」という事を直接的に言っています。インターネットで「人間万事塞翁馬」について調べてみると、「”人間” は ”にんげん” と読むのか ”じんかん” と読むのか?」という議論がたくさん出ています。ここでの「人間」は、「人」という意味ではなくて、世間とか世の中という意味ですから、「にんげん」と区別するために「じんかん」と読む事が多いようです。そこで、広辞苑で「じんかん(人間)」を引いてみると「にんげん(人間)」の項を見るようにと指示されていて「にんげん(人間)」の項を見ると、第一義は「人の住むところ、世の中、世間、じんかん」と書いてあって、第二義がいわゆる「人」(human being)であると書いてあります(広辞苑第四版、電子版)。どうやら、古希を過ぎるまで「人間」の意味を間違えていたような気がいたします。

参考文献
*中村璋八、石川力山、菜根譚(講談社学術文庫742、1986.6.10)