アリストテレスの問題(Problemata Physica)は次のような問題です。
<問題6> 太陽光が柳細工のカゴの隙間のような四辺形の穴を通ったときに、どうしてその像は四辺形の形でなくて(太陽と同じ)円形になるのか?
<問題11> 日食の際、篩の目やプラタナスや他の広葉樹の隙間から、あるいは両手の指を組み合わせて篩の目を作ってその隙間から太陽の光線を通して見るなら、その光線が地面に達した時、三日月形になるのはなぜか?
木の葉の間の隙間を通ってきた光でできた日食の像
木の葉の隙間は色々と複雑な形をしていますが、その形によらず太陽の形が写し出されています。
(By Erik Newth, CCby2.0)
この問題は、西洋では、ルネッサンス期に至るまで解決されませんでした。この問題に解答を最初に与えたのは、フランチェスコ・マウロリコ(Francesco Maurolico: 1494 – 1575)とヨハネス・ケプラー(Johannes Kepler: 1571.12.27 – 1630.11.15)です。マウロリコはケプラーの一世代前に活躍しています。したがって、この問題に解答を与えたのは、明らかに マウロリコ の方が早いのですが、ケプラーが1604年にこの結果を「Ad Vitellionem Paralipomera」という著作で公表したのに対して、マウロリコの著作「Photismi di Lumine et Umbra」は1521年に完成していましたが公表されたのはマウロリコの没後36年経過した1611年になってからであるという事情があります。また、下に示すように、解答はいずれも正しいのですが、マウロリコの解釈とケプラーの解釈は異なります。なお、ケプラーが、この二つの解釈が同等のものであることを知っていたことは明らかで、「ケプラーにこの問題を解こうという動機を持たせた問題は二つの解釈のいずれでも解決する」こともケプラーは知っていたと考えられています。マウロリコおよびケプラーの著作は言うまでもなくラテン語で、これらの英語訳や研究論文なども多数ありますが、ここの内容は、これらを総合的に扱っているDavid C. Lindbergの「Theories of Vision」の記述に基づき、図や式を補足して解説したものです。なお、本は未出版でしたが、1521年以降マウロリコの成果は学界に知られており、他の研究者に影響を与えたという説もあります。
マウロリコの解答
上の図
は被写体(発光体)ABからの光ガ、穴(開口部)CDを通って、下のEFGHを含む面(2次元の場合は「面」でなく「直線」)に像を作ることを示しています。AH,AG,BF,BEは被写体の端A,Bから出て開口部の端C,Dをかすって進む光線です。三角形CEGとDFHは、それぞれ、頂点CとDから進んできた光線で作る錐体(2次元では三角形)で底面(2次元では底辺)は被写体ABと相似形になります(この図は2次元の図なのでどんな場合でも「相似形」の線分ですが)。(頂点A,Bは頂点C,Dに比べて像面から遠くにあって)角度ECG及び角度FDHは角度EBF及び角度GAHより大きいので、開口面から離れるにしたがって、基線EG及び基線FHの長さは、基線EF及び基線GHの長さに比べて急速に大きくなります。このことを、図にある記号を使って数式で表すと次のようになります。各記号は、\(a\):被写体の大きさ、\(b\):被写体の像の大きさ、\(d\):穴の大きさ、\(e\):穴の像の大きさ、\(\ell_1\):被写体から穴までの距離、\(\ell_2\):穴から像までの距離、を表しています。そこで、被写体の像の大きさと穴の像の大きさ、およびそれらの大きさの比を求めます。$$b=\frac{\ell_2}{\ell_1}a, e=\frac{\ell_1+l_2}{\ell_1}d$$ $$\frac{e}{b}=\frac{\ell_1+\ell_2}{\ell_2}\frac{d}{a}=\left(\frac{\ell_1}{\ell_2}+1\right)\frac{d}{a}$$ このように、穴から像までの距離\(\ell_2\)が大きくなると、穴の像の大きさと被写体の像の大きさの比が小さくなることがわかります。特に、太陽のピンホール像を考えるときのように、被写体の大きさも被写体までの距離も極端に大きいとき(\(a \gg d, \ell_1 \gg \ell_2\))には、太陽を見込む角度(\(\theta=a/\ell_1\) \(=a/(\ell_1+\ell_2) \))を使って変形すると、この式は以下に示すように一層わかりやすくなります。
ケプラーの解答
ケプラーは1600年7月10日の日食を利用して月の直径を計測したところ、それまでティコ・ブラーエがピンホールカメラで測定した値よりも小さくなることを発見しました。この原因を探る過程でケプラーは「アリストテレスの問題」を解くことになりました。ケプラーの説明は、マウロリコの説明が2次元モデルで行なわれたのと違って、次のように、最初から3次元で行われました。被写体(発光体)は四辺形の本(”ABCD”)です。下図のように、本を高い位置に置いて床との間に多角形の穴(開口部:この図の場合、三角形”egf”)のある机を置きます。本の一つの角から穴の辺をかすめるように床までヒモを伸ばします。ヒモをピント張ったまま穴の辺に沿って動かすと床の上には穴と同じ形(三角形AeAgAf等)が描かれます。これと同じ操作を本の輪郭の全ての点について行なえば、床にはその操作と同じ数だけの穴の形を描くことが出来ます。
ケプラーの解釈(3次元モデル)
発光体ABCD(四辺形)内の各点から発した開口部efg(三角形)の像の重ね合わせが最終的な像になります。 そして、これを全体としてみると発光体である本の形になっているのです。これを2次元的に描くと下図のようになります。
ケプラーの解釈(2次元モデル)
発光体AB内の各点から発した光による開口部CDの像の重ね合わせが最終的な像になります。
まとめ
以上をまとめると、マウロリコは発光体の像を開口部の形の範囲内で重ね合わせているのに対し、ケプラーは開口部の像を発光体の形の範囲内で重ね合わせていることになっています。Maurolico も Kepler も上に数式で示したような定量的評価はしていませんが、Maurolico が「像面が遠くなるにつれて開口部の像が相対的に小さくなる」と言っているのに対して、Kepler は「開口部の像の重ね合わせが発光体の像になる」としています。 マウロリコの解釈とケプラーの解釈は基本的に同等です。なお、ケプラーが、光線をヒモで表しているのはデューラーの著作、Four Books on Measurement (Underweysung der Messung mit dem Zirckel und Richtscheyt)(1525) からヒントを得たとされています。
Man Drawing a Lute by Albrecht Dürer (1525)
ヒモを使って遠近法でリュートの絵を描いています。