ピンホール・カメラの変種_2:二段スリット板


二段スリット板写真の原理

縦方向の細いスリットのある板と横方向に細いスリットのある板をピタッと重ね合わせると、一辺がスリットの幅と同じ小さい正方形の穴ができます。ピンホールカメラでは円形の穴の開いた板を使うことが普通なのですが、四角な穴でも同様に被写体像が投影されます。これは、まさに、ピンホール写真における「アリストテレスの問題」と同じで、穴の形に関わらず被写体と相似形の像が投影されるということです。したがって、当然、この四角い穴の「ピンホール・カメラ」を使って写真を撮ることができます。次に、この2枚のスリット板の間隔を離していきます。板を離したとたんに四角い穴のピンホール板はもとの2枚のスリット板に戻って「縦スリットの板」と「横スリットの板」からできた光学装置になります。これを二段スリット板(※)と呼び、これによってできる写真を二段スリット板写真と呼びます。

二段スリット板とピンホールの関係 
二つのスリット板(左:二段スリット板)の間隔(\(d\) )を狭めて重ね合わせると、四角い穴のピンホール(右)になります。

 


二段スリット板による像のでき方
       

右にある富士山の倒立像が左にできていますが、水平スリットが垂直スリットよりも像面から遠いので画角が小さくなりより望遠的になって縦長の富士山になります。

 

※「二段スリット板」という名称
 この光学素子には、確定した名称がないようです。人によって、いろいろな名前をつけて呼んでいるようです。例えば、ダブル・スリット、二重スリット、デュアル・スリットなどです。ただ、これらの名前を使うと、量子力学等に関連して使われる「ダブル・スリット」のイメージが強く、混乱を来すので、「二段スリット板」と言う名前を使うことにしました。上の「ダブル・スリット」等の名称は、一枚の板に二つのスリットがあるような印象を持ちますが、「二段スリット板」にすると2枚のスリット板を重ねて使う印象があるからです。なお、最終的な映像を直接投影するわけではありませんが、SPECT (Single Photon Emission CT) のコリメータートして「Skew Slit」(スキュースリット;傾斜スリット)の名称でこの光学素子が使われています。

ダブル・スリットと波の干渉実験
同じ板(緑色)上に2本のスリットを設けて、下から平面波を当てると2つのスリットから円形に広がる波は干渉によって波の強さが異なる方向がはっきり見えてきます。

量子力学に関連して「ダブル・スリット」というときは、ゾーンプレートの項で干渉現象の説明に用いたように1枚の板に2つのスリットがついているものを指します。このサイトで言う「二段スリット板」はスリットがある2枚の板から構成される系のことです。このような使い方は、むしろ、例外的かもしれません。レナーの書籍 (Eric Renner, Pinhole Photography Third Edition, Focal Press 2004) では、「Slit Imaging」という言葉で「シングル・スリット」から「マルチ・スリット」までいろいろな場合を表しています。しかし、スリット・カメラと言う全く別の装置もあります。これはフィルムカメラでフィルム面に近接させて縦スリットを置いてフィルムを高速で流しながら撮影するカメラのことを指します。スリット・カメラを用いるとフィルムの流れる方向に時間的に変化している現象をフィルム上に高速で展開できるので、例えば、競馬の着順判定等に用いられてきました。また、フィルムの流れる速度をうまく調整すれば、長い列車を(遠近法による)変形なしに撮影することができるし、スリット・カメラの原理を使ってパノラマ写真を撮れば回転方向に歪みの全くない写真を撮ることもできます。スリット・カメラを発展させて超高速現象を撮影できるようにしたものが「流しカメラ」(Streak Camera)で理工学の研究開発の分野でよく用いられます。流しカメラは、かっては、フィルムを使うスリット・カメラそのものでしたが最近はデジタル・カメラをベースにした高性能なものが開発されています。このようなスリット・カメラを用いて写真芸術の領域で独特の作品を作ることも出来ます(大関通夫、残像の美学(日本写真企画、東京、1998)など)。

二段スリット板写真の特徴

このような二段スリット板をカメラに装着したときの特徴は、当然ながら、「縦スリットからセンサー(撮像面)までの距離」と「横スリットからセンサーまでの距離」が異なることです。スリットからセンサーまでの距離が長くなれば画角が小さくなり、距離が短ければ画角は大きくなります。ところで、縦スリットは横方向の画角を決め、横スリットは縦方向の画角を決める役割を果たします。したがって、縦スリットが前にあって縦スリットまでの距離が長いときは水平方向の倍率が高くなり(望遠的)、垂直方向の倍率が低くなります(広角的)。縦横スリットの位置が逆転すれば、このことは逆になります。この様子は下の図に示すとおりです。このようなスリット板配置の場合、円形の被写体を撮影すると横長楕円の像が得られます。

二段スリット板の並べ方と像の縦横倍率
被写体の円上のA, B点からの光線は縦スリット上のS2点、C, D 点からの光線は横スリット上のS1点を通りますから、それぞれ、スクリーン上のA’, B’, C’, D’ 点に到達します。このため、ABの像A’B’短くなり、CDの像C’D’は長くなります。

上の図で示したように、前に縦スリット、後ろに横スリットを置いたときに円形の被写体の像が横長楕円になることがわかります。ここまでの二段スリット板カメラの説明では、前後のスリットが直交している場合に限っていますが、この角度を変えても変わった映像が得られます。また、このような単純な直線型スリットだけではなく、前スリットと後スリットの形をいろいろ変化させて像の変形を楽しむことができます。このように、この光学素子にはいろいろな可能性があるので、「Skew Slit」と呼ぶのは制限が強すぎると考えて「二段スリット板」と呼ぶことにしました。