本文に記したように、中世におけるのピンホール現象についての記録としてはアラビアと中国の文献が残っています。このうち、中国の「酉陽雑爼」(Youyang Zazu、863)と「夢渓筆談」(Meng Xi Bi Tan、1086)に関して若干の補足をしておきます。
「酉陽雑爼」は、中国唐代の役人であった段成式(Duan Cheng Shi, 803? – 863)が860年頃完成させた書物で、本巻20巻、続巻10巻からなるものです。 「酉陽雑爼」というのは湖南省の小酉山の麓の穴にあるという伝説の1000巻の書物を基にして色々な事物(雑爼)について書いた書物という意味です。その内容は荒唐無稽な怪異記事がほとんどですが、扱っている内容が極めて広範で博物学的にも一定の評価がなされています。特に有名なのは、ピンホール現象とは全く関係ありませんが、「酉陽雑爼」続卷の第1巻に書かれている「叶限(Ye Xian)」の物語です。これは、世界中に広く分布する「シンデレラ(Cinderella)」物語の最古のバージョンであると認められています。ところで、ピンホール現象については「境異・喜兆・禍兆・物革」というタイトルがついている酉陽雑爼の第4巻に書かれていて、その「物革」の部分の冒頭、「咨議朱景玄見鮑容說,陳司徒在揚州,時東市塔影忽倒。老人言,海影翻則如此」とあるのが問題の文章です。
これに対して、沈括(Shen Kuo、1031 – 1095)はその著「夢渓筆談」(Meng Xi Bi Tan、1086)の中で、本文に書いたように、飛んでいる鳥の像の動きの向きや塔の像の倒立することについて述べている他に、「『酉陽雑爼』で塔の像が倒立するのは海の近くにあることで海がその現象を与えるためであると述べられているのは馬鹿げたことで、小さい穴を通り過ぎた後に像が倒立するというのが正しい理論(常理)である」という注を付けています。 沈括は、このように、ピンホールの像に関して正しく理解していたことがわかります。実は、この沈括という人は、宋時代(960 – 1270)のスーパー・マルチタレントで、政治、軍事、学問、芸術のあらゆる分野で活躍した人なのです。Wikipediaの Shen Kuo(沈括)および Dream Pool Essays(夢渓筆談)の記事その他を参考にしてまとめると次のようになります。 沈括は、地方官を勤める地主階級の家の出ですが1063年に32歳のときに科挙に合格して進士(1070年に王安石の改革が行なわれる前の進士科合格者は人数も少なく超エリートでありました)となり、中央政府の士太夫として政治を動かした他、西夏および遼の大使、軍司令官、翰林学士、提挙司天監(国立天文台長)、判軍器監(兵器廠長官)、三司使(大蔵大臣)等を歴任しました。これだけでもその有能さが想像できますが、さらに科学者として、薬理学、工学、解剖学、数学および光学、地形学、考古学、地質学、気象学と測定器具、印刷機、哲学等に業績を残しています。特に、磁針コンパスの作成、大気による光の屈折の観察、北磁極と北極の違いの発見、三角州の退行現象、北極星の位置の確定、カメラ・オブスキュラの研究、レリーフ地図の作製 等の研究・発明・発見でよく知られています。引退後は現在の江蘇省の豪華な別荘「夢渓」において当時の科学技術についての随筆集である「夢渓筆談」を執筆しました。 沈括は、この他にも多数の著書を執筆したと言われますが、その多くは失われており、現在に残るのは、「夢渓筆談」の他に、薬理学に関する「蘇沈良方」8巻と文集「長輿集」19巻とであるとされています。