別のページに書いたように1986年のいばら祭には「斬龍足嚼龍肉」だけでなく、ここにある「頓悟花情」の篆刻(t198610b)も出展いたしました。この言葉は、世阿弥の芸術論としてよく知られている「風姿花伝」の中の「第三問答條々」に出てくるものです。この條に書いてある事は、おおむね、次のようににまとめてよいかと思います:幼い頃から稽古に励んで藝(花の種)を磨くことによって、この道の奥義を極めることができる。奥義を究めるという事は「花(の)情(心)を知る」事であり、即座に花の心を知る事ができるのが奥義を究めたという事である。
この條の最後の部分は「古人いわく」として引用してあるのですが、出典はわかっていて、禅宗第六祖の慧能大師の偈で下に示すようなものなのです.風姿花伝には「花」が深い意味を持ってたびたび登場しますが、この部分の言葉は、能のような芸術に限らず仕事に打ち込む上での心構えであるように思います。
心地含諸種 普雨悉皆萠 頓悟花情已 菩提果自成
(慧能大師、六祖法寳壇經)
心地に諸(もろもろ)の種(たね)を含む
普(あまね)き雨に悉く皆萠(きざ)す
頓に花の情(こころ)を悟り已(おわりすれ)ば
菩提の果自ずから成ず
(慧能大師、六祖法寳壇經)
風姿花伝は有名な書物ですから私も、もちろん、以前から知ってはおりましたが、なかなか本を手に取る所までは行きませんでした。1986年当時、私は日本原子力研究所で核融合の研究をしていました。私の大学院時代の恩師(指導教官)である宮本梧楼先生(1911- 2012)は原子核物理学の研究者であり戦後まもない時期に日本の核融合研究を立ち上げた研究者達の一人で多くの人材を育ててきたこともあり、当時は私の勤める研究所の特別研究員を勤めておられて私もしばしばお話しする機会がありました。常勤の大学教授の職は既にやめておられたと思いますが、新しいアイデアを考え出す創造力はまだまだご健在でいつも色々と宿題を与えられたものです。先生には沢山の弟子がおられますが「末っ子」に近い私のところで話し込んでいくのを楽しんでおられるようで物理学以外の話をされることも多かったように思います。実は、「風姿花伝」もこの時「竹田さん、是非読みなさい」と薦められた本なのです(宮本先生は、若い学生であろうが同僚の教授であろうが、皆「さんづけ」で呼んでおられて、私が大学院生になって始めて研究室に行った時も、大先生に「さんづけ」で呼ばれたのには驚いたものです)。
参考文献
*世阿弥作、野上豊一郎、西尾実校訂、風姿花伝(岩波文庫、1958)