斬龍足嚼龍肉

私が篆刻を始めてから2年余りが過ぎた1986年10月に私の娘の通っていた中学校の学園祭(いばら祭)で保護者の作品展があるので出品しないかと娘に誘われ「それでは篆刻でも出してみようか」と言うわけで作品を作ってみました。それまでの2年間は、色々な人の氏名印を、勝手に彫ったり、時には、頼まれて彫って差し上げたりする他に、年賀状用のための印を彫ったりしていましたが、この時、始めて多くの人様の目に触れるところに並べる作品として印を彫ることにしたのです。  そこで、何か題材になるものはないかと漢詩の書物等を色々とあさっていたところ、中唐の詩人李賀の「苦晝短」(晝の短きを苦しむ)が目に留まりました。李賀は、天才的な詩人ですが不遇のうちに27歳で世を去っています。独特で幻想的な詩風は他の漢詩には類を見ないもので、今の日本でも多くの愛好者がいるようです。ところで、この「晝の短きを苦しむ」と言う詩は、時間が無情に過ぎ去っていく情景を表現しています。詩の中で「その時間の経過は東方の若木の地下にいる龍が司っているので、その龍の足を斬り龍の肉を食べてしまえば、もう龍は光(太陽の事でしょう)を持って天をめぐることが出来ず、時間が過ぎ去ることもなく老人も死なず、若者も嘆かないだろう」ということをうたっています。不遇の中で自分の才能を発揮できる場も与えられずに時間だけが経過していくことが李賀にこの詩を作らせたのでしょう。人生の短さを嘆き、無情に過ぎていく時間を止めたいという気持ちをうたった詩なのです。李賀の身の上を考えなくとも、若い時に色々な状況から目的を目指す心が焦りを感じて「時間よ止まれ」と叫びたくなることはあるものです。また、年老いてくると、今までの人生は本当に自分の目指したものだったものだろうか、もう少し時間があれば何か達成できると思って「時間の流れを遅くしたい」と感じるものです。そういう意味では、李賀の「苦晝短」は万人に共通の思いなのかもしれません。一部を下に抜粋しておきます。

・・・・・ 天東有若木 下置銜燭龍 吾将斬龍足 嚼龍肉 使之朝不得迴 夜不得伏 自然老者不死 少者不哭 ・・・・・

・・・・・ 天の東に若木あり 下に燭を銜(ふく)む龍を置く 吾将に龍の足を斬り 龍の肉を嚼(か)み 之をして朝は迴るを得ず 夜は伏するを得ざらしめんとす 自然、老者は死せず 少者は哭せず ・・・・・

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いばら祭出品(1986.10)
斬龍足嚼龍肉    

 

 

t20010519
第12回DAC展出品(2001.5.3)
斬龍足嚼龍肉    

 

 

この時から8年後の1994年に、私は、それまで勤めていた研究所から大学に転職しました。仕事の種類も職場の環境も全く変わってしまったので、それなりに戸惑いや苦労もありましたが総じて楽しい日々を送ることが出来ました。大学に移ってから7年後にふとしたことから職員仲間の展覧会であるDAC(Dentsudai Art Club)展への出品を誘われました。別の項でも述べるように、この時期までに、既に、私は中学校時代の仲間によるグループ翔作品展の常連としていくつかの篆刻作品を彫っていましたが、この年のDAC展ではどうしたものかまた「斬龍足嚼龍肉」を彫ってみたくなりました。これがt20010503の印です。15年も経過したのにあまり技術的に進歩はしていないようですが少し大胆になって崩したデザインになっています。 さらに9年が経過した今年(2010年)、私は古希を迎えます。2006年には大学も定年退職し、いわば悠々自適の生活に入っています。昔ならば「老境」にとっくに入っている年齢でしょうが、本人はとても信じられない思いです。そうかといって、実は、「斬龍足嚼龍肉」という心境でもありません。そのような時、偶然見かけた朝日新聞の1月6日朝刊のコラム(第二茨城面)に心理学者の波多野完治博士の辞世の句について書いてありました。波多野完治と言えば、幼い頃、母の少ない蔵書の中に波多野勤子(完治夫人)著の育児書があったのを思い出します。他にも、その本棚には「吉田松陰の母」とか、名前を忘れてしまったけれども外国人の著した子育ての本が並んでいたのを思い出しました。始めての子供である私を育てるために、色々な本を読んで、一生懸命勉強していたのでしょう。私の幼年期は太平洋戦争の時期と一致しており、両親とも実家から遠く離れて住んでいたことを思うと、始めての育児はさぞ大変だったろうと思われます。今の「核家族」のはしりです。ところで、波多野完治の辞世の句とは、「存分に われは生きたり 春(夏秋冬)の朝」というものです。この辞世の句は完治が逝去する時よりもだいぶ前に、その時が春夏秋冬いつであるかわからないので自由に季節を入れ替えられるようにして詠んだものだそうです(実際には春に亡くなったので、夏秋冬がカッコに入れてあります)。この辞世の句は、まさに「斬龍足嚼龍肉」とは逆の発想です。 このような心境にはなかなか達することが出来ませんが、やがて不可能ではなくなるような気もいたします。いや、そうなりたいものです。こんな風に考えるのも、やや年齢を重ねたからという事でしょうか。ちなみに、波多野完治は96歳で世を去りますが、80歳の時俳句を始めて92歳で句集「老いのうぶ声」を出版しています。完治は、この句集のあとがきで、トーマス・クーンの「科学革命の構造」を引用し、「科学は大筋のところでは大きな革命を経験しているがたいていは人の踏みならした道を行くのであってそのパラダイムを踏み外せば科学でなくなるか大きな迷路に踏み込むのだ」とし「その科学ではない学問の道を行ってみようかと考えて、散文の構造の研究から詩に至り、これが自由な志向への大道だと悟り、日本で最も手近な俳句に参じた」というような事を書いています。私も科学者の端くれですが、自然の本質へ迫ろうとする爽やかな心意気が感じられます。

参考文献
*石川忠久、NHK漢詩を詠む(下)昭和60年10月~61年3月
*黒川洋一編、李賀詩選(岩波文庫、1993.12.16)
*波多野完治、老いのうぶ声(小学館、1997.10.10)
*トーマス・クーン(中山茂訳)、科学革命の構造(みすず書房、1971.3.5)