私は、子供時代は日本の高度成長期の前で、社会人としては高度成長期以後を過ごしてきました。高度成長期の始まりのシンボル的な東京オリンピックの年は大学院の2年生でした。また、東海道新幹線の開通の際は知人から試乗招待券をもらって熱海まで試乗して、それまで経験した事のない速さに驚いたものです。家にテレビ、冷蔵庫、洗濯機、電話等がそろったのもそれより数年前ですし、一億総中流時代の中流家庭の典型的候補者だったと思います。トイレは水洗ではなかったし、ご飯は薪のかまどにお釜をのせて炊いていたし、(我が家は京浜東北線の北浦和駅のすぐそばという町の中でしたが)あちこちにある井戸の周りでは洗濯をする主婦達が「井戸端会議」をしていました。当時は明治維新から80〜90年しか経っていなかった為とは言え、庶民の日々の生活は江戸時代の長屋の生活とあまり違わなかったのではないかとさえ思われます。それから約半世紀を経過した今の日本はあらゆるものが変化して、「便利」の一言につきるようになってしまいました。 「杞憂」という言葉は「取り越し苦労」という意味でよく使われる言葉です。中国の古代国家「杞」に「もし、天地が崩れ落ちたらどうしよう」と心配して夜も眠れず、食事もできない人がいたという故事に基づいて、あり得ない事を心配して取り越し苦労をする事を「杞人の憂い」あるいは「杞憂」と言うようになったという事です。このような「杞憂」の故事自体はいくつかの記録があるようですが、通常、これは列氏の天瑞篇第13段に記されている故事が元になっているとされています。
杞國有人憂天地崩墜身亡所寄廢寢食者・・・
天地壞者亦謬言天地不壞者亦謬壞與不壞吾所不能知也雖然彼一也此一也・・・・
杞の國に、天が崩れ地が壊れてしまうのではないかと
憂いて夜も寝られず食事もとれない人がいた・・・
天地が壊れるというのも誤りで天地が壊れないというのも誤りである
崩壊するか否かはそれぞれ一つの見解であるが我々に知る事はできない・・・
杞人の友人が「天地が崩壊する事等ないのだ」と杞人を安心させ、次に哲学者の長廬子が「天地はいずれ崩壊するのだからこれを憂うるのは当然である」と主張したところに、列御冦(列子)が天地壞者亦謬言天地不壞者亦謬壞與不壞吾所不能知也雖然彼一也此一也・・・・(天地が壊れるというのも誤りで天地が壊れないというのも誤りである 崩壊するか否かはそれぞれ一つの見解であるが我々に知る事はできない・・・)と結んでおり、決して「杞憂がいけないことだ」と言っているのではないことがわかります。列子は、両極端の意見があるときには性急に結論を出さずに十分自分で考えて判断する事が必要である事を言っているようです。「杞憂」の意味そのものは間違っていませんが、この短い言葉に込められている味わい深い意味が失われてしまっていることに残念な気がします。