ピンホール写真は、すべての映像技術の基本となってきたという意味で極めて重要な写真です。歴史的に見るならばそのことが非常によくわかります。しかし、ピンホール現象は、カメラ・オブスキュラの時代を通じて現代のカメラに発展したというだけでは、ピンホール写真の過小評価であると言えるかもしれません。著しい科学技術の発展の結果ピンホール現象そのものは他の光学素子に取って代わられて、あまり応用されていないと思われがちですが実際はいろいろな分野で応用されています。特に最近は、計算写真術 (Computational Photography) と言う分野の研究が進みピンホール写真に関連性の深い研究がなされています。ただし、ここでは、まず最初に、単純で分かりやすい技術であるピンホール・ミラーについて考えることにします。
太陽観測
ピンホール・カメラは入射する光の量が少なくて暗いために、実用的に使われたのは天文観測の中でも主として太陽観測です。太陽観測に使う限り、ピンホールからの光量は十分ありますが、レンズを使った観測に比べると解像力が弱いという問題点があります。ピンホールの直径と焦点距離の関係に関して最適化したピンホール望遠鏡の解像力については注釈4で説明してあります。例えば、「ピンホールの応用」の所に書いた清水一郎他「太陽黒点の観測」に記載されている黒点観測の例では焦点距離2 m、ピンホール直径1.8 mmのピンホール望遠鏡では黒点らしきものがぼんやりと写っている程度です。この本に書かれてはありませんが、この際得られた太陽の像は直径18 mmで、相対解像度(注釈4)は25程度であったはずですから、太陽の直径に沿って25画素程度の写真を見ていることに相当します。ピンホール・カメラで太陽の黒点をはっきりとみるためには、どうしても焦点距離(ピンホールから撮像面までの距離)の長い望遠鏡を作ることが不可欠です。例えば、焦点距離20 mのピンホール望遠鏡ならばピンホールの最適直径は5.2 mmとなって、太陽像の直径は186 mm、相対解像度は70程度が達成されて、かなり鮮明な黒点像が得られるようになる筈です。このような望遠鏡を作る際にはいくつかの問題点があります。まず第一は、焦点距離が長くなることによって撮像面に集まる光量が減ることです。これは太陽観測を考える限り比較的小さな問題かもしれませんが光の強さは距離の二乗に反比例して弱くなるので余り長い焦点距離は問題です。第二の問題は、望遠鏡が長くなるため太陽に向かって立てて使うことが簡単ではないことです。しかし、これは、太陽光をミラーで反射させて水平方向の光線にすれば解決することです。しかし、太陽は1分間に約2.5度の早さで移動しますから、太陽の像が撮像面上で動かないように、ミラーの向きコントロールしなければなりません。例えば、20 mの焦点距離の装置を使った場合、撮像面上で太陽の像は約1.5 mm/secの早さで移動します。このような太陽像の位置合わせと追尾は、ピンホール・ミラーを使うことで、比較的簡単に行うことができます。
ピンホール・ミラー
ピンホール・ミラーは平面鏡の上にピンホール板を密着させて貼り付けたもので、上から来た光がこの部分でピンホールを通り抜けるとともに鏡で反射して方向を変えて水平方向に進んで像を作るようにしたものです。この方法による黒点観測についての記事はウエブ上にいくつか見いだすことが出来ますが、例えば、Barry Malpasのウエブサイトに実際に太陽黒点を観測した記録ガ記されています。なお、このピンホール・ミラーはヤング(Matt Young)の The Pinhole Camera に紹介されているPinhead Mirror と本質的に同じものであると考えられます。Pinhead Mirrorは非常に小さな鏡がピンホールと同じ働きをすると言うものです。また、「ピンホール・ミラー」は「ピンホール望遠鏡」と違って被写体の方を向いた鏡筒なしで利用します。太陽のように極端に明るいものを被写体とするときには、ピンホール・ミラーと撮像面の間の鏡筒も省くことができます。 ところでヤングの論文には、このPinhead Mirrorが最近発明されたものかどうかに関する議論について記述がありますが、実は、ゾーンプレート写真や赤外線・紫外線写真の項で出てくる米国の物理学者ウッド(Robert W. Wood)の著書「Physical Optics」第3版(1934 Macmillan, 復刻版: 1988 米国光学会)の p.272 にはピンホール・ミラーのことが既に書かれています。1905年の初版および1911年の第2版も眼を通しましたが、ピンホール・ミラーに関する記述を見つけることはできませんでした。しかし、ウッドは1898年および1900年にはゾーンプレートに関する論文を発表しており写真も撮っていますから、ピンホール・ミラーについても、もっと早くから知っていたことは十分あり得ます。ウッドは、レーリー(Lord Rayleigh)によって導かれたピンホールの最適直径の式(「ピンホールの設計」のところで示した式とは係数が少し異なりますが基本的に同じ式です)を紹介してピンホール・ミラーの具体例を示しています。まず、直径15 mm位のピンホールを使って、例えば、200 フィート(約60 m)離れたところから開いた窓または扉を通して適度に暗い室内に太陽を投影します。焦点距離(「焦点距離」という言い方は正しくありませんが、ここでは便宜的に、撮像面までの距離をそう呼んでいます)が200 フィートの場合、最適なピンホール直径は6 mm程度ですので、直径15 mmではかなり解像度は落ちますが光量が6倍以上になるので比較的明るいところに投影しても太陽の像が得られるわけです。もし、暗くて長い廊下の一端にある窓または扉から光が入るような構造の場所で投影される壁の近くが十分に暗くできるならば、最適直径のピンホールによる投影をすることで目覚ましい結果が得られるとしています(解像度が良いという意味だと思います)。なお、投影面から見てピンホールの形は真円に近い方が望ましいのでピンホール・ミラーに使うピンホールは楕円形にした方が良いということも指摘されています。
ピンホール・ミラーによる太陽黒点観測
ピンホール・ミラーによる太陽撮影
2009年7月22日には、日本で皆既日食が観測できるということでピンホール写真愛好者の間でも大きな話題となりました。私が子供の頃は日食観測と言えば、小学校の理科の授業等でも、煤で黒くしたガラス片や黒く感光したフィルムを使って太陽を見ていましたが、最近ではこれは眼にとって大変危険なことなので使ってはいけないと言われています。そういうわけで、簡単に日食観測を行うためには、金属膜を蒸着した日食グラスを用いるかピンホール投影が勧められています。私は、ピンホール・ミラーを使って観測しようとして準備をしました。もともと、このピンホールミラーは太陽黒点の写真を撮ろうと思って用意始めたのですが、当時は黒点数が異常に減少していたため黒点観測の機会に恵まれませんでした。
ピンホール・ミラー
ピンホール・ミラーに用いる鏡は表面鏡でなければなりませんから、私は100mm x 100mm x 2mmの真鍮板の表面をピカールで磨いて用いました。ピンホールの直径はほぼ1.5 mm、2 mm、2.5 mmのもの(下段右より)を用意して必要なピンホール以外は紙で塞いで使用しました。なお、この写真の上段のものは、ピンホールの代わりにゾーンプレートを用いたゾーンプレート・ミラーです。
ピンホール・ミラー用の投影箱
庭に設置したピンホール・ミラーと投影箱
右の三脚にピンホール・ミラー板を設置して約6 mはなれた左の三脚にピンホール・ミラー用の投影箱を設置してあります。鏡筒なしのピンホール・ミラーで望遠鏡を作るときには、鏡筒に相当する長くて暗い廊下を用意する必要がありますが、適切な廊下がありませんでしたので、投影面の近くを箱(投影箱、暗箱)で覆って環境光の侵入をなるべく避けることにしました。このため、光の入射する窓とカメラが覗き込む窓を紙筒で作成し、箱の内部は墨を塗って黒くしてあります。そのようなわけですから、ウッドほど欲張らずに、家の前の児童公園で焦点距離20 m位のピンホール投影を行おうと目論みましたが、やはり光の遮蔽が大変で、焦点距離6 mまで目標を下げました。この場合、投影面における太陽の直径は5 cm 位になります。写真撮影は専用の覗き穴から行います。
直径2 mmのピンホール・ミラーにより6 m離れた投影箱に投影された太陽像
悪天候のため、ピンホール・ミラーを使って日食の写真を撮影することができませんでしたが、日食終了後にピンホール・ミラーを使って撮影した太陽の像です。雲の多い天気だったので撮影には有利な条件ではなかったのですが、環境光がなるべく少なくなるように改良することによってより良い写真が撮影できると思われます。