日既暮烟霞絢爛

第4回「グループ翔作品展」は、20世紀も押し詰まった1999年の開催でした。というよりも、1940年生まれの私たちにとっては還暦を目前にしての展覧会です。少し前までは自分たちが60歳になったときのこと等とても想像もできませんでしたが、ついにその時が来てしまうのかという感じでした。当時、私の勤務していた大学の定年は65歳でしたから、還暦を迎えたと言っても定年まで5年あるので急に生活が変わる訳でもありませんが、自分が還暦直前だという事は、やはり、とても信じられない気持ちだったように思います。篆刻の題材はそういう気持ちが、菜根譚の中に見つけ出した句です。意味は、読み下し文から容易にわかるように、「 日はすでに暮れてなお夕映えは光りかがやく。歳は終わろうとして柑橘はかぐわしく匂う。たとえ晩年となろうとも、君子はいっそう精神をふるい立たせ、最後を美しく全うしようではないか」ということです。あの時から10年以上の年月が経過して、昨年(2010年)ついに古希をむかえてしまった身としては、10年以上も前にこの用な事を考えていたかと思って何やら気恥ずかしい気持ちがするとともに、10年経っても「精神百倍」どころか何分の一かに衰えているのではないかと心配です。

日既暮而猶烟霞絢爛 歳将晩而更橙橘芳馨 故末路晩年 君子更宜精神百倍
(菜根譚・前集197)

日すでに暮れてなお烟霞(えんか)絢爛(けんらん)たり
歳(とし)まさに晩(く)れんとして
さらに橙橘(とうきつ)芳馨(ほうけい)たり
ゆえに末路(まつろ)晩年は 君子さらによろしく精神百倍すべし
(菜根譚・前集197)

t19990301a
第4回翔作品展出品(1999.03.01)
日既暮烟霞絢爛

 

 

先日(2011.10.6)はApple社CEOのSteve Jobsが亡くなりましたが、Jobsは日が暮れる前に烟霞絢爛たる人生を送っていたように思います。私はちょうど商用の「電子計算機」が研究に使われ始めた頃研究生活に入って計算物理学というコンピュータに関係深い研究分野に関わって来ましたが、パソコンについて言えば、JobsたちがApple社を立ち上げた頃パソコンなるものを使い始め、その数年後に、3代目MacintoshであるMacintosh Plusを米国から輸入して以来ずっと公私ともにMacintoshユーザーでありつづけています。私の研究者生活の後半部分はJobsとともにあったような気がしてとても他人事とは思えません。それはともかく、自分について言えば、既に日は暮れてしまっているかもしれませんが、多少は烟霞絢爛たる空を夢見て暮らしていきたいとは思いつつカメのように遅い動きではありますが現役時代の最後に手がけた研究も進めたり、このようなホームページを作ったりしている訳です。夕暮れ時の残照をもう少し楽しむことができるといいな等と思っています。

参考文献
*中村璋八、石川力山、菜根譚(講談社学術文庫742、1986.6.10)