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本文で説明したように、ゾーンプレート写真には大別して3種類の特徴があります。第一は、レンズレス写真として見たときに、ピンホール写真に比べるととても明るいだけでなくピンホールには存在しない「焦点」があるので、速いシャッター速度での撮影、マクロ写真撮影、望遠写真撮影などができて普通のレンズ付きカメラで撮った写真により近い写真が撮れると言うことです。第二の種類の特徴は、被写体像を作るために回折現象を使っていることによる効果で、ゾーンプレート写真では、カスミやハローを伴ってもともと鮮明である像(1次回折像)がソフトな印象を与える像になることと、色収差(スペクトル分散)がきわめて大きくてその波長依存性もレンズの場合と逆になっていることです。また、ゾーンプレートに入射した光は異なる距離のところにある複数の収束点(無限遠からの光の場合の「焦点」)に向かって異る次数(0次、1次、3次、··奇数次··)を持つ回折光として進みます。ここで、0次回折光とは直進光を表していてカスミやハローの主要な原因です。通常、ゾーンプレート写真の撮影には1次回折光を使うので、1次回折光による像が最もシャープで、他の次数の回折光はカスミやハローとして一次回折光によるシャープな像をソフトにして、時には、非常に不鮮明な像にしてしまいます。ゾーンプレートのこの特徴は昔からのよく知られていて、ゾーンプレート写真の特徴と言えば「カスミとハローの存在である」といっても良いくらいでした。
しかし、デジタル·カメラの使いやすさを生かして、非常に多くのゾーンプレート写真を撮影して調べた結果、ゾーンプレート写真には、これら以外に第三の種類の特徴があることが分かりました。それは、撮影時の光の状態に依存するので、必ず明確に見られるというわけではありませんが、黒い背景の中に被写体が浮き上がって見える写真が撮れる事が多い、と言うことと、目で見た時よりも透明感のある鮮やかな被写体の写真が撮れる事が多い、と言うことです。この二つの現象は、実は、同じ原因から生じていると推測されます。その推測を以下に記します。
光を特定するパラメータとして、何があるでしょう?··真っ先に思い付くのは「光の強さ」であり、「光の波長分布」です。写真との関係で言えば、「光の強さ」は「明るさ」に、「光の波長分布」は「色」に対応します。モノクロ写真は光の強さに関する情報だけを記録しており、カラー写真は光の強さと波長分布に関する情報を共に記録していると言ってよいでしょう。他には何があるでしょうか? 写真撮影において次に出て来るパラメータは「偏光」かもしれません。光は横波であるので進行方向に直交する面内でいろいろな方向(360度全ての方向)に振動するという自由度があります。自然の光では、この振動が全方向に一様であることが多いのですが、特定の方向の振動が支配的である場合もあってこのような偏った向きに振動する光を偏光と呼びます。偏光は、光が反射したり、細かい水滴を含む大気中を通り抜けて散乱する時に発生して写真の質を劣化させることがあるので偏光フィルター(PLフィルター)をつけて避けることが行われます。もっとも、偏光は必ずしも悪い効果だけを与えるわけではないので、あえてその効果を取り除かなかったり、立体視のための光の分離(左右の目に入る光を別の偏光にする)などに応用したりして偏光を積極的に利用することもあります。偏光は、通常、人が目で直接感じることはできませんが、人間以外の動物で言えば、ミツバチなどは太陽光の偏光を利用して飛行経路を記憶していると言われています。しかし、偏光は、今話題にしているゾーンプレートの持つ特徴とは直接関係無いと思われるので詳細については省略します。写真撮影に関する光の属性としては、通常、この三つのパラメータ(光の強さ、光の波長分布、偏光)だけが考えられています。しかし、これ以外に、光の運ぶ情報の中に、もう一つ重要なパラメータが有ります。それは、「コヒーレンス長」とよばれるものです。ただし、この量は、偏光と同様、目で見たり普通のレンズ付きカメラで写真を撮るときには、全く感知することができません。通常、光源からの光や被写体上の一点からの光は単一波長ではなくてある波長幅の光が集まったものです。このことは、干渉を起こす(可干渉である)光の波は(無限に続くのではなく)ある長さを持った「波連(Wave Packet)」であるということを意味しています。単一波長の光の波はどこまで行っても同じ周期の正弦波ですが、この単一波長の光の波に波長の違う光の波を加えていくと周期性が失われて可干渉である波の部分(波連)の長さはどんどん短くなって行きます。したがって、私たちが写真を撮る時に関係する光の波は、通常、ある有限の長さを持った波連の集まりであるということになります。
この結果、ゾーンプレートでは以下に記す2つのことが起きると考えられます。まず第一に、ゾーンプレートでは、中心ゾーンを通過した光と外側のゾーンを通過した光を比べると、外側のゾーンを通った光は1つの透明ゾーンあたり1波長分(1周期分)だけ遅れて像面上の収束点に到着しています。例えば、ここまでに掲載した写真の撮影に多く使われているゾーン数 29 のゾーンプレートの場合、透明ゾーンの数は 15 ですから、中心ゾーンを通る光に比べて最も外側のゾーンを通る光は 14 波長分(14周期分)だけ遅れて収束点に到着します。このために、波連の長さが14波長に相当する長さより短いと、外側のゾーンを通ってきた光が像面に達した時スタート時点でその光線が属していた波連に追い付くことができないで干渉が起こらないと言う事態が生じます。この様な場合、像の明るさは、目で見た時やレンズ付きカメラで写真を撮る場合に比べて著しく暗くなる可能性があります(図1)。要するに、被写体上の一点から出た光の波連が短すぎる(短いコヒーレンス長)と目で見た時より暗くなってしまう可能性があるのです。背景が黒くなる時に、実際に背景部分からコヒーレンス長の短い光が到来しているかどうかは確認していませんが、可能性の高い原因だと思われます。実際にこのようなことが起こると、短い波連の光による像の明るさと長い波連の光による像の明るさの比が、ゾーン数の多いゾーンプレートではゾーン数の少ないゾーンプレートよりも低下することが予想されます。大幅に単純化したモデルを使って、この低下の様子を計算したものが図2です。この結果によって予想される定性的な傾向は、ゾーン数が29と9であるゾーンプレートを使って実際に撮影した写真において確認することができました(図3)。
図1 コヒーレンス時間が短い時のゾーンプレートの働き
ゾーン数が9(透明ゾーン数が5)のゾーンプレートに波連の長さ(コヒーレンス長)が6波長であるような光が入射した時に焦点において光の波が干渉する様子(右上図)を表しています。例えば、光の強さは光波の振幅の自乗に比例しますから、右上の図でN=9 ZPと書いてある時点では、全ての透明ゾーンを通過してきた光が干渉するので光の強さは全く相互に干渉しない場合に比べて\(5^2=25\) 倍にもなります。
図2 波連の長さと透明ゾーン数
横軸は波連の長さを波長の数で表し、各曲線は透明ゾーン数(M)の違いを表しています。縦軸はある一つのゾーンプレートについて、波連の長さが無限大であるときの像の明るさが1であるとして、波連が短くなったときの像の明るさを示しています。波連の長さを一定にしてみれば、ゾーン数が少ないゾーンプレートの方が明るさの低下が少ないことがわかります。なお、この図を描く際の計算では波連は横軸で表された長さを持っている有限長の正弦波で近似してあります。したがって、この図はゾーン数、波連の長さ、収束光の強さの関係をわかりやすく表しているだけでその数値自体は定量的に正しくありません。
図3 ゾーン数の違いによる背景像の違い
多肉植物グラパラリーフのゾーンプレート写真。左図:N=39(M=20)、ISO=2500、T=0.025sec、右図:f=100、N=9(M=5)、IS0=2500、T=0.077sec。透明ゾーン数が多い左の写真では背景が黒く写っていますが、透明ゾーン数が少ない右の写真では背景がはっきり写っています。
なお、ゾーンプレートとは直接関係ありませんが、「光線は有限の長さを持つ」という事実と「光の干渉」を使って画像を得るという方法は他にも実用化されています。短い波連の光を使って干渉光の強度の変化から対象物の立体的構造を計測する「OCT(Optical Coherence Tomography:光コヒーレンス・トモグラフィ)」はこの原理によるもので医療用などに実用化されています。OCTでは、波連の短い近赤外線をハーフミラーで2方向に分けて、検体の中で反射してきた一方の光の光路長をもう一方の光との干渉によって測定してその位置を知り、検体の3次元構造を再現します。よく知られている医療用CT(Computer Tomography)は身体を横断して得られたX線量の減衰値の集まりからなる積分方程式をコンピュータで解いて体内の3次元構造を画像化するもので大きな対象領域を扱うのが普通ですが、OCTは眼底部分の3次元構造測定などに用いられていて対象領域は極めて小さくて高い分解能を持っています。
図4 ゾーンプレート写真の鮮やかさと明るさ
ゾーンプレートを通る光は、波連の長さが長いと明るい像を作ります。また、このような光は波長幅が狭いので刺激純度が大きくて鮮やかな色になります。逆に、波連の長さが短いと暗くて鮮やかでない像になります。
図5 透き通るような花々
七つ洞公園の秘密の花苑に咲くガーベラをはじめいろいろな花の花弁はどれも透き通るような感じで撮れました。撮影に使った機材は、Olympus E-PL6、ゾーンプレート(焦点距離=50 mm, ゾーン数=29 )で、ISO=1600, シャッター速度=0.008 sec
第二に考えられるのは、波連の長さは波長幅に依存しており、波長幅が狭いほど波連の長さが長くなることの効果です。例えば、レーザー光のように(単一波長に限りなく近くて)波長幅が極めて狭い光線は極めて長い波連からできています。波長幅が狭いと言うことは異なる波長の光の混じり具合が小さいということですから光の純度(刺激純度)が高いことを暗示しており、より鮮やかな光となることが予想されます。また、上の記述は、ゾーンプレートにおいては、波連の長い光(鮮やかな色をもたらす光)の方がそうでない光よりも明るくなる可能性があることを示唆しています(図4)。この結果、波連の長い光と短い光が混在している場合、波連の長い光を出している被写体表面はより鮮やかで透明感を感じさせるように見えると考えられます。明るい花のゾーンプレート写真を撮ると透明感が強く感じられる場合がしばしばあります(図5)。
ただし、ここで注意しなければならないことは、写真に写った像の色がどのように見えるかを表現することの難しさです。ここで述べたように波長幅の狭い光が常に透明感あふれる像を作り出すわけではありません。この問題には、ゾーンプレート写真によって波長幅の狭い光線の像がそうでない光線による像より明るく写るとしても「物理学的な波長と色の関係」、「生理学的な視神経からの信号の解釈の仕方」、および「心理学的な色の認識過程」など全てが関係してくるので、この推測が一般的に正しいか否かを判定することは容易ではありません。理由の解明は今後の課題ですが、経験的には、図5でも見られるように、明るい色の花弁がゾーンプレート写真において透明感あふれる像として得られることが多いようです。図6には、このような例をもう一つ示しておきます。
図6 透き通るようなコチョウランの花
左の写真はレンズ付きカメラで撮ったもので、右の写真はゾーンプレート写真です。ゾーンプレート写真の撮影データは、カメラ:Olympus E-PL6、ゾーンプレート:f=50 mm、ゾーン数=9、ISO=2500、T=0.05 sec です、ゾーンプレート写真のコチョウランの花弁は、レンズ付きカメラによる写真に比べて、透明感あふれる写真として撮られています。